明治以前、改元の理由として「天皇の代替わり」より多かったきっかけとは
知ってそうで知らない日本の「元号」基本の“き”①
人を特定するためにマイナンバーが採用され、元来の個人名のような味わいや個性がなくなった。同様に四桁の数字の西暦が主流となった世界で、表意文字の元号を何故継承すべきかなのか、漢字二文字の持つ歴史と意味について学んでいこう。
■そもそも元号制のルーツとは?
人が社会生活を営む時、これを秩序付けるには2つのことが必要だ。生活そのものを秩序づける法的な規制のひとつ。そしてもう一つは生きるうえで不可欠な時間。この時間の流れを知るための時制が求められてくる。
当初、この時制には「紀年法」と呼ばれるものが用いられてきた。広大な領地を統治する国王の即位から何年、という数え方をしてきたのだ。中国全土が初めて統一された秦の時代、始皇帝の即位26年目を記した詔書に刻まれている内容はこの例だろう。
やがて漢の時代となり、文帝の時に変化の兆しが見て取れる。在位中に改元が確認されるのだ。おそらく自らの長寿を祝い、そのことを喜んでの改元と見られるが、元年を新たに打ち立てることで、活気と盛運を得ようとした意図が文帝にあったのではないかと考えられている。
このような前例を踏まえながら、年数の頭に漢字の名称を付ける「元号」を始めたのが漢の最盛期を作った武帝だとされてきた。
武帝が即位の翌年を元年とし、崩御するまでの54年間にわたり11回も改元している。当時、人は6年ごとに生気が衰えるということが『淮南子(えなんじ)』にも記されているのだが、これを踏まえて活気を取り戻すための6年だったとみられる。ただし、近年の研究から、厳密には事実とは若干違うのではないかという検証もある。
「武帝に仕えていたことでも知られる司馬遷が記した『史記』には、数字で示すのは混乱を招く要因になるために、『めでたい祥瑞(しょうずい)にちなんだものとすべき』という役人・有司の進言を受け入れて命名したとあります。つまり、当初から改元して『元号』をつけたのではなく、祥瑞を機会に命名をした、と解釈できるのです。」と『皇位継承のあり方』(PHP新書)の著者・所功さんは語る。
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